護摩供(ごまく)について

護摩供(ごまく)について

護摩は、炎の神秘を観じる真言密教の修法です。

護摩ほど密教らしい修法はございません。
何の為に護摩を修法し祈るのか?
それは、人々の幸福を願う諸々の祈願の為でもあり、一切衆生、生きとし生けるもの為であり、又仏様の為です。
それを自己の修行とします。

護摩行に参加されるについて、大切なことがあります。
火は即ち如来の智火であり、又火は即ち自身の智火である。と行者だけでなく、護摩供に参加される皆さんも観じる事です。
簡単にいうと「火=仏=自分」と観じると言う事になります。

観じるというのは、感じるとは意味合いが違います。
観は観察の観ですよね。観察は、広辞苑を引くと「物事の真の姿を、間違いなく理解しようとよく見るという事」と書かれていました。
目でただ見ると言うことではありません。心の目で観て、観じると言うことです。

密教において護摩の炎は、自身の煩悩を焼く炎です。
つまり、その炎を通じて、むさぼり、いかり、おろかさという心の迷いを、本尊さまの智慧の炎で焼きつくして頂くのです。
仏様にお祈りすることによって、自分の欲望だけではなく、皆の幸せが得られる様に願って頂きたいのです。
そうすれば、きっと如来の慈悲のお力が届くはずです。

弘法大師は、御著作『即身成仏儀(そくしんじょうぶつぎ)』の中に、次のように説かれております。
「加持とは、如来の大悲と衆生の信心とを表す。仏日の影、衆生の心水に現ずるを加といい、行者の心水よく仏日を感ずるを持と名づく」
本尊に祈り、その気持ちを本尊に受け取っていただく事を「 加持( かじ) 」といいます。加持の 三昧( さんまい) に入り本尊と自らが一体になる「 入我我入 (にゅうががにゅう) 」の 境地 きょうち を目指します。
護摩を修する行者は、修法の間、本尊様と自身と信者との三者が一つにとけ合うことを常に念じています。
皆さまも同じように護摩供にご参列なさって、ご真言を唱え、加持の三昧にお入りください。

但し原則として、護摩供のWEBからの参加は、瞑想会に来ていただいている方に限らせていただいております。
参加希望の方はフォーム、又はメールにてお問い合わせ下さい。